マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

物語の中身に力点を置くか否か

 小説を書いたり読んだりしていて、痛感せざるをえないことは――
 小説には少なくとも2種類ある、ということです。

 物語の中身で魅せる小説と物語の語り口で魅せる小説と、です。
 この2つは、まったく異なる文芸といっていいでしょう。

 物語の中身で魅せる場合は、語り口をシンプルにしたほうが効果的ですし――
 物語の語り口で魅せる場合は、中身をシンプルにしたほうが効果的です。

 同じことは映画にもいえそうです。
 物語の中身で魅せる映画と物語の見せ方で魅せる映画とがある、と――

「物語の見せ方」というのは、「小説の語り口」に対応する概念で、早い話が、どういう映像を、どんな風に編集していくか、ということです。

 小説であろうと映画であろうと――
 物語の中身に力点を置くか否かにとって、小説家ないし映画監督としての立ち位置が決まってきます。

 小説や映画は物語を効果的に伝える手段にすぎないとみなすか――
 小説や映画の媒体としての長所を活かすために物語を伝えようとするか――

 効果的に伝える手段にすぎないとみなす作家は、小説家であろうと映画監督であろうと、自分の媒体には拘泥しないでしょう。
 そういう小説家は、機会さえあれば、映画監督に転職するし、その逆もあるでしょう。

 が、媒体としての長所を活かすために物語を伝えようとする作家は、小説家であろうと映画監督であろうと、転職は問題外に違いありません。

 この断絶は、小説と映画との間に横たわる断絶よりも、さらに深いかもしれません。