マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小説書きにとっての調べもの

 小説を書く前に調べものをすることは、よくあります。

 小説書きの人には、ピンとくることでしょう。

 が――
 そういうときには、実は、あまり調べないほうがいいのです。

 ――ちょっと雰囲気だけを借りてくる。

 くらいがちょうどよい――

 逆にいえば――
 うんと調べないと借りてこられないような素材は、自分の小説には用いないほうが無難です。

 よい小説にならないからです。

 もちろん――
 小説を書く前に調べものをすること自体は、有意義なことです。

 だからこそ――
 多くの小説書きが、小説を書く前に調べものをするわけで――

 僕自身も、色々と調べます。

 が――
 それは、自分の心の内に埋まっている題材を引っ張り出すことの契機に他なりません。

 適当な素材をみつけてくることでは決してないのです。

 小説の素材というものは――
 結局は、自分の心の内にしか見いだせないものです。

 少なくとも僕の場合は――
 小説を書く前に調べたことというのは、小説の表層に現れることは、まずありません。

 もし、表層に現れていたら――
 それは、たいていの場合、小説が、その箇所の周辺で壊れていることを示しています。

 作品としての調和が乱れているのですね。

 当然のことながら――
 そういう箇所は推敲の段階で削除することになります。

 ――小説を書く前の調べものをしている段階が最も幸せなんだ。

 と、コボす小説書きは多いのですが――
 それは、その調べものという作業が、自分の心の内を耕すからです。

 決して小説の素材を拾い上げられるからではありません。

 小説書きにとって――
 調べものという作業は、即物的でも即効性でもありません。