マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

結論ありきの議論ほど

 結論ありきの議論ほど、実りの少ないものはないでしょう。

 議論をする前から結論が決まっている――
 それならば、かえって議論をしないほうがマシというものです。

 議論をする以上、結論は柔軟に変更させなければなりません。

 議論で大切なのは、

 ――納得

 です。
 納得がいくのであれば、結論を正反対に変更させることも有意義でしょう。

 逆に、納得がいかないままに結論を固定してしまい、その結論の下で議論を続けることほど、不毛なことはありません。

 アメリカの学校には、いわゆる競技ディベートを教育の柱に据える教師が少なくないそうですが――
 その教育効果は大いに疑わしいといわざるをえません。

 むしろ、児童・生徒に悪しき影響を及ぼす可能性があります。

 競技ディベートでは、多くの場合、納得がいかない結論を念頭に、議論に臨みます。

 たしかに、そうした討論の矢面に立つことで、とっさの論証力や疑義を提示する能力は鍛えられるでしょう。

 が――
 発想の柔軟性や思考の協調性は、かえって失われるでしょう。

 10代の人たちには、むしろ有害です。

 アメリカで高等教育を受けた人の中には、こうした競技ディベートの害を一身に受けて育ったような人がいます。
 このことは、間違いなくアメリカの社会的知性の弱点となっているでしょう。

 もちろん、そのような高等教育を本当の意味で享受してきた人たちは、競技ディベートを教育の柱に据えることの危険性には、大変に敏感です。

 そういうアメリカ人と話をすると、とても安心します。

 人の知性の逞しさを感じるからです。