マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

飽きっぽい人が

(今日一日、何があったかな?)
 と考え込んでみても――
 とくに、これといって何も思い出せない――
 という日々が続いております。

 老化の始まりでしょうか(苦笑

 ――毎日の密度を濃くしようと思ったら、何か新しいことにチェレンジするのがいい。

 という話をきいたことはあるのですが――
 そういえば――

 最近の僕は、とくに何か新しいことにチャレンジしているということがないのですね。

 そうか――
 これが原因か(笑

 ……

 ……

 何か新しいことにチャレンジするとしたら――
 いったい何がいいのでしょうかね。

 フランス語やギリシャ語、あるいは韓国語や中国語をはじめてみるとか――
 絵画や彫刻、あるいは華道や茶道をはじめてみるとか――
 剣道や柔道、あるいは空手や合気道をはじめてみるとか――

 今、思いつくままに列挙してみましたが――
 これらは、いずれも、これまで、あまり深くは考えずに敬遠してきたことばかりなのです。

 決して興味のないことではなかったのですがね。

 が――
 僕には変に凝り性のところがあって――
 一度はじめたことを途中で放り出すのが絶対にイヤなのですよ。

 よくいえば、

 ――飽きっぽくない。

 ということなのですが――
 わるくいえば、

 ――往生際がわるい。

 ということです。

 どんなに不得手に思えることであっても――
 とにかく気が済むまで徹底的にやってみないと気持ちがおさまらないタチなのです。

 この僕の「凝り性」的な一面が――
 僕を臆病にさせているようなところがありまして――

 ちょっと軽い気持ちではじめてみたら、あとで、

 ――さあ、大変!

 ということになりかねない、と――

 自分で自分の首を絞めてしまう危惧ですね。

 実際――
 ちょっと軽い気持ちではじめてみて――
 その後、すぐに、
(しまったあ!)
 と悟ったけれども――
 自分の「凝り性」的な一面のせいで、一応の区切りをつけるところまで放り出せなかった経験がありますよ。

 本当はイヤでイヤでしょうがなかったのですよね。

 毎日が憂鬱でした。

 あのときほど、自分の往生際のわるさを自覚したことはありません。

(飽きっぽい人が、うらやましい)
 とさえ、思いましたよ(笑