マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

カタカナ語は、うってつけの遊び道具

 日本人はカタカナ語に弱いと思うのです。

 例えば、

 ――エビデンス

 という言葉があります。

 英語の「evidence」に由来していると考えられますが――

 この「evidence」に――
 なぜか「エビデンス」というカタカナ語をあてて、標準的な訳語である「根拠」をあてようとしないのは――
 日本人の悪いクセでしょう。

 日本人は、二重の意味で、カタカナ語に弱い、と――
 僕は考えています。

 一つは――
 漢字の熟語や平仮名の和語には、ふだん大した意味を見出そうとしないのに――
 カタカナ語には、なぜか、ことさらに重大な意味を見出そうとしてしまう――
 という意味で――

 もう一つは――
 カタカナ語の大半は外国語が起源であるにもかかわらず――
 その外国語の理解は、概して不徹底である――
 という意味で――

 弱い、と――

 ……

 ……

 おそらく――
 日本人は、国外から入ってくる新しい概念や思想や価値観には強烈な興味を示しやすい一方で――
 外国語の使用や習得それ自体は、大嫌いなのでしょうね。

 まあ――
 気持ちは、よくわかります。

 かくいう僕とて――
 そうなのですから……(笑

 僕は――
 新しい考え方に強烈な興味を覚えますが――
 外国語を使ったり習ったりするのは大嫌いなのです。

 そんな人間の知的好奇心を満たすのに――
 カタカナ語は、うってつけの遊び道具なのですよね。

 困ったことです。