マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ぼくが何とか手に入れようとしている暗黙知2つ

 ぼくは、自分が 10 才から 20 才くらいのときに、

 ――残り5つの暗黙知(あんもくち)

 を手に入れようとしなかった――

 と、きのう、のべました。

 

 そして――

 その事実をしっかりとわかっておくことが大切である、と――

 

 ……

 

 ……

 

 ――残り5つの暗黙知

 というのは――

 

 ――意識(いしき)の働かせ方

 ――世の中の捉(とら)え方

 ――体の動かし方

 ――外国語の使い方

 ――物事の創(つく)り方

 ――人の心の捉(とら)え方

 ――未知の物事の見つけ方

 の7つの暗黙知のから、

 ――「意識の働かせ方」と「世の中の捉え方」との2つをのぞいて残る5つの暗黙知

 という意味です。

 

 ぼくは、自分が 10 才から 20 才くらいのときには――

 これら5つの暗黙知をまったく手に入れようとしませんでした。

 

 自分の周りでは――

 自分と同い年くらいで、すでに、

 ――体の動かし方

 や、

 ――物事の創り方

 や、

 ――外国語の使い方

 などの暗黙知を手に入れているようのみえる人たちが何人もいました。

 

 が――

 ぼくは、何一つ手に入れようとはしなかった――

 

 そのことに――

 ぼくは、20 才を過ぎて、だいぶ経(た)ったころに―― 25 才くらいのときに――気がつきました。

 

 そして――

 とりあえず、

 ――外国語の使い方

 と、

 ――人の心の捉え方

 との2つにしぼって――

 これら2つの暗黙知を何とか手に入れようと――

 今も、自分のペースで、がんばっています。

 

 あいにく、どちらも、まだ、

 ―― 10,000 時間の壁(かべ)

 をこえられていません。

 

 が――

 いつかは、

 ――外国語の使い方

 も、

 ――人の心の捉え方

 も手に入れたい、と――

 思っています。

 

 なぜ、これら2つを選んだのかというと――

 

 ――人の心の捉え方

 のほうは、わりと簡単(かんたん)です。

 

 10 才のころのぼくが、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす。

 ということに強い関心をもっていたことに気づいたからです。

 

 では、

 ――外国語の使い方

 のほうは、どうかというと――

 

 これは、自分でも、よくわからないのですが――

 おそらく、ぼくが、4 才から 6 才までの間、日本にいなかったからです。

 

 その2年間――

 ぼくは、ヨーロッパのスイスという国の主にドイツ語が話されている街に住んでいました。

 

 このときの体験が、外国語への消しがたい関心を、ぼくの心の中に植えつけたようです。

 

 ――関心

 というより、

 ――義務感(ぎむかん)

 であったかもしれません。

 

 物心(ものごころ)がつくかつかないかのころに、日本語が全く通じない街で幼稚園に通ったという体験は、

 ――日本語だけではなく、外国語の使い方も、少しはわかっていなければならない。

 という信念――あるいは、思いこみ――を作りあげました。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』