マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

10 才のぼくが、それに気がついていたら……

 10 才のころのぼくが強い関心をもっていたのは、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす。

 ということであった――

 と、きのう、のべました。

 

 たしかに――

 

 10 才のころのぼくは、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす。

 ということに強い関心をもっていました。

 

 というのは――

 

 とくに、だれかに、

 ――文章で人の心を捉(とら)えてみたら?

 などと、いわれたわけでもないのに――

 10 才のころのぼくは、人の心を捉(とら)えるための文章を、どうにかして書こうと思っていたからです。

 

 が――

 

 ふしぎなことに――

 本人は、そのことに、まるで気づいていませんでした。

 

 気づかなかった理由は――

 たぶん2つくらい挙げられます。

 

 1つは、

 ――「自分は“未知の物事を見つけ出す”ということに強い関心をもっているのだ」とカンちがいをしていたから――

 

 もう1は、

 ――あくまでも人の心を捉えるための文章が書きたかっただけで、学校の作文は好きではなかったから――むしろ、苦手であったから――

 

 これら2つの理由があったために――

 10 才のころのぼくは、自分が、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす。

 ということに強い関心をもっている――

 などとは、夢(ゆめ)にも思っていませんでした。

 

 そんなことに関心をもつのは、

 (ぼくとは、ぜんぜん違(ちが)う世界に住んでいる人たちに決まってる)

 と思っていました。

 

 ですから――

 そのための準備(じゅんび)を始めたりは、しなかったのですね。

 

 ――書き言葉を使って感動をもたらしたい。

 と心から思うのであれば――

 当然のことながら、

 ――人の心の捉え方

 の暗黙知(あんもくち)を手に入れるために、

 ――10,000 時間の体験

 をくりかえしはじめていれば、よかったわけです。

 

 そのような努力を――

 もし、ぼくが 10 才で始めていたら――

 そして、見事に、

 ――10,000 時間の体験

 をくりかえしおえていたら――

 ぼくは、おそくとも 20 才くらいまでには、

 ――人の心の捉え方

 という暗黙知をすっかり手に入れていて――

 今ごろ、ものすごい作家とかになっていたかも……しれません(笑

 

 ……

 

 ……

 

 いや――

 それは、さすがにムリだと思うのですが――

 

 少なくとも、どんな形であれ、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす仕事

 には、ついていたことでしょう。

 

 例えば――

 出版とか宣伝とか広報とかいった仕事です。

 

 ……

 

 ……

 

 実際(じっさい)のぼくは――

 そのような仕事には、ついていません。

 

 もちろん、

 ――人の心の捉え方

 という暗黙知を手に入れられたわけでもありません。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』