マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

10 才から 25 才までのぼくは時間をムダに使った

 ――大人になったら、物理や歴史のことで、未知の物事を見つけ出す仕事がしてみたい。

 と、10 才のぼくは思っていたけれども――

 そのような仕事をするのに必要な、

 ――未知の物事の見つけ方

 という暗黙知(あんもくち)を手に入れるために、10 才の今、自分は何をしなければならないのか――

 ということは、ほとんど何も考えていなかった――

 と、きのう、のべました。

 

 何かの暗黙知を手に入れようと思ったら、

 ―― 10,000 時間の体験

 をくりかえさなければならなかったというのに――

 そんなことは、少しも心配をしていなかったのですね。

 

 ……

 

 ……

 

 けっきょく――

 ぼくは、10 才のころから 25 才のころまで、

 ――未知の物事の見つけ方

 を手に入れるための体験をほとんどすることはなく――

 

 それでいて、

 (物理のことで、未知の物事を見つけ出す仕事がしたい)

 という思いだけは持ちつづけ――

 

 25 才のころに――

 そのような仕事につくための準備(じゅんび)を始めました。

 

 正しくは、

 ――物理のこと

 ではなくて――

 

 ――生き物の体に関わる物理のこと

 でした。

 

 ところが――

 

 25 才では、おそかったのですね。

 

 少なくとも、ぼくにとっては、おそかった――

 

 ……

 

 ……

 

 25 才のころのぼくは、

 ――未知の物事を見つけ出す。

 ということに――

 そんなに強い関心をもてなくなっていました。

 

 というよりも――

 

 実は、すでに 10 才のころから、

 ――未知の物事を見つけ出す。

 ということに、ぼくは――

 そんなに強い関心をもっていなかったのです。

 

 けれども――

 おそらく、

 (ぼくは「未知の物事を見つけ出す」ということに強い関心をもっているんだ)

 とカンちがいをしていたのですね。

 

 そのようなカンちがいをしてさえいれば――

 とりあえず、

 (これからの人生をどうやって過(す)ごしていくか)

 といった面倒(めんどう)な問題をさけることができました。

 

 ――面倒な問題

 をさけられるのですから――

 とても楽です。

 

 楽であったので――

 

 (ぼくは何かカンちがいをしてるんじゃないか)

 と疑うようなことなどは――

 これっぽっちも、ありませんでした。

 

 そんな“面倒な問題”をさけているという自覚さえ、なかったのです。

 

 ……

 

 ……

 

 つまり――

 10 才から 25 才までのぼくは、自分のカンちがいに気づくことができずに――

 かなりの時間をムダに使っていたことになります。

 

 『10歳の頃の貴方へ――』