マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

10 才のぼくが関心をもっていたこと

 10 才から 25 才までのぼくは――

 実は、

 ――未知の物事を見つけ出す。

 ということに――

 そんなに強い関心をもっていなかったにもかかわらず――

 強い関心をもっているとカンちがいをして――

 しかも、そのカンちがいに気づくこともなく――

 かなりの時間をムダに使っていた――

 と、きのう、のべました。

 

 ……

 

 ……

 

 いま、

 ――かなりの時間をムダに使っていた。

 と、のべました。

 

 が――

 実際(じっさい)には――

 それが本当の意味でムダであったかどうかはわかりません。

 

 ――大人になって、未知の物事を見つけ出す仕事につく。

 という目標を掲(かか)げていたことを考えれば――

 たしかに、ムダであったでしょう。

 

 が――

 その目標をとくに掲げていなかったことにすれば――

 必ずしも時間をムダにしていたとはいえないのです。

 

 10 才のころのぼくは、

 ――未知の物事を見つけ出す。

 ということに強い関心をもっているとカンちがいをしていた一方で――

 まったく別のことに強い関心をもっていました。

 

 それは、

 ――人の心を捉(とら)える。

 ということです。

 

 6月27日にのべたように――

 

 ――人の心を捉える。

 とは、

 ――感動をもたらす。

 ということです。

 

 ――感動をもたらす。

 ということには、

 ――言葉を使って感動をもたらす。

 ということと、

 ――言葉以外の物事を使って感動をもたらす。

 ということとの2つがあります。

 

 さらに、

 ――言葉を使って感動をもたらす。

 には、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす。

 と、

 ――話し言葉を使って感動をもたらす。

 とがあります。

 

 ぼくが 10 才のころに強い関心をもっていたのは――

 実は、

 ――書き言葉を使って感動をもたらす。

 ということでした。

 

 『10 歳の頃の貴方へ――』