マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

“わびの心”の学び時

 たいていの美意識や価値観は――
 できるだけ子どものうちから学び始めるのがよいと思いますが――

 例外もあります。

 たとえば、

 ――わびの心

 です。

 いわゆる「わび」は、

 ――侘び

 と書いて、

 ――貧しさや乏しさの中に美しさを見出そうとする意識

 くらいの意味ですが――

 この“わびの心”を理解し、味わうには――
 それなりの人生経験が必要とされます。

 つまり――
“わびの心”には学び時というものがあるのです。

 ……

 ……

 人は――
 とくに幼い頃や若い頃は、どうしても――
 豊かさや夥(おびただ)しさの中に、美しさを見出そうとします。

 そうやって、身のまわりの暮らしの中に、豊かさや夥しさを作り出そうとしていくのですが――
 どんなに努力をしてみても――
 なかなか思うような美しさは見出せない――

 そこそこの美しさは見出せても――
 自分が胸の内に思い描く美しさには、なかなか至らないのです。

 ――それならば……。

 と、あえて――
 豊かさや夥しさとは逆のほうへ関心を向けてみる――

 あえて――
 貧しさや乏しさの中にこそ、美しさを見出そうとしてみる――

 そうすると、

 ――あら、不思議――

 豊かさや夥しさの中に見出そうと思っていた美しさとは異質の美しさが――
 思い浮かんでくる――

 これが――
 いわゆる“わびの心”です。

 つまり――
 身のまわりの暮らしの中で、実際に豊かさや夥しさを作り出し続けた経験があって初めて――
“わびの心”は照り輝くのですね。

 裏を返すと――
 そうした経験がなければ――
“わびの心”は、単なるヤセ我慢と同じ――
 ということです。