マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

自分の話をほどよく乱す

 僕は、他人の話をきくより、自分で話をするほうが、疲れるみたいです。

 他人の話をきくときは、ききどころを間違えなければ、なかなか退屈しないものですが――
 自分で話をするときは、話しどころが十分にわかっていても、けっこう退屈なものなのです。

 これから話がどう展開するのか――
 他人の話なら、わかりませんが――
 自分の話なら、わかりますからね。

 当たり前です(笑

 裏を返すと――
 自分で話をしていくうちに話すべきことが変わっていって、その結果、新たな発見に到達するというのなら、いいのです。

 が、僕の場合――
 ここ10年くらいで話すことに慣れすぎたせいか、そういった脱線が、ほとんど期待できないのですよね。

 二十歳くらいの頃は、話すことに不慣れだったので――
 けっこう脱線していましたよ。

 その分、話の聞き手を興ざめさせていましたが――(笑

 でも――
 今ほど話すことを面白くないとは感じていなかったかも――

 自分で話をするときというのは――
 少しくらいの脱線がないと、なかなか面白く感じられません。

 もちろん――
 脱線がコントロール不能になってしまったら、話をきくほうが大変です。

 たぶん、その話は、つまらないとみなされるでしょう。

 脱線の加減が難しいのですね。

 話の巧い人というのは――
 自分の話をほどよく乱す感覚に長けているのだと思います。