マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

アメリカン・ジョークがわからない

 アメリカン・ジョークというのは、僕には、どうにもわからないのですが――
 あれがアメリカ人には面白くて仕方がないようなのですね。

 たぶんアメリカン・ジョークにも色々あって一概にはいえないはずですが――
 先日のオバマ大統領が、記者協会主催の夕食会で言い放っていたようなジョークは、ちょっと僕には理解できません。

 大統領選挙で厳しく対立したクリントン国務長官や対立政党出身のチェイニー前副大統領への皮肉は、ちょっと度がこえているように感じられました。
 女性であるクリントン氏と熱いキスを交わしたかのようなジョークや、狩猟中に友人を誤射したチェイニー氏の落ち度を取り上げたジョークなどがありました。
 
 まあ、アメリカでは毎年恒例の行事であるらしいのですが――
 1920年以来、歴代のアメリカ大統領が、このような毒気のあるジョークを披露しているらしいのです。

 ふだん皆が遠慮していわないようなことを敢えてジョークにするというのが、アメリカ流なのかもしれません。

 ――とにかく本当のことをいう。

 ということですね。

 その辺は、たしかに日本の冗談にも通じるところではあります。
 やっぱり真実を指摘した冗談は面白いですからね。

 が――
 一ついえることは、そうではあっても、日本では誰も傷つかないように工夫された冗談こそが技巧的で高級であるとみなされている、ということです。

 あえて本当のことをいう――でも、誰にもイヤな思いはさせない――もし、イヤな思いをする人がいれば、それは冗談ではなく、ただの嘲弄だ――
 そういう総意が、日本の冗談を下支えしているように感じます。

 アメリカン・ジョークへの違和感は、そうした美徳が、あまり感じられないからでしょうね。