マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「水際作戦」は勘弁して欲しい

 昨今のパンデミック騒ぎで、よく、

 ――水際作戦

 という言葉がきかれるようになりました。
 空港検疫の強化に言及していわれることが多いようです。
 つまり、

 ――新型ウイルスを国内に持ち込ませないぞ!

 という話ですね。

 この「水際作戦」という言葉――
 僕は勘弁して欲しいんですね。

 この言葉から、つい太平洋戦争(大東亜戦争)のことを連想してしまいます。

 例えば、硫黄島アメリカの海兵隊を迎え撃った栗林忠道のような指揮官のことです。
 あるいは、沖縄戦を徹底的な持久戦に持ち込もうとした八原博通のような参謀のことです。

 当時の日本陸軍は、いわゆる水際作戦が金科玉条でした。
 上陸する敵軍を海外線付近で撃破するというものです。

 が――
 状況によっては、この水際作戦が敵軍の思うつぼでした。

 サイパン島の戦いでは、水際作戦の履行に拘り、短期間で大勢の将兵が戦死しました。

 サイパン島での教訓を活かそうとしたのが、栗林や八原といった軍人たちです。
 水際作戦を放棄し、敵軍を陸地の奥に誘い込んで、いわゆるゲリラ戦をしかけるというものでした。

 戦争のプロたちが十分な時間をかけて組織的に行うゲリラ戦は、相手の軍を心理的に追い込むとされます。

 どんな勝負事でも、最後は心理戦になりますから――
 そのような意味では、栗林や八原といった人たちが採った作戦は、洗練されていたといえるのかもしれません。

 実際、当時のアメリカ軍や現代の戦史家たちは、日本軍の硫黄島の迎撃ぶりや沖縄の作戦案には一定の評価を与えているそうです。
 また、近年、硫黄島の戦いを映画に撮ったアメリカ人は、日本のメディアの取材に応じ、栗林の戦い方を「創造的」と評価していました。

 が――
 忘れてならないのは――
 そうした「創造的」な戦いの果てに生じたものは、おびただしい数の死体であった――
 ということです。

 硫黄島で持久戦を挑んだ将兵2万のほぼ全員が亡くなっています。
 その中に栗林自身も含まれています。

 また、アメリカ軍も6000人が亡くなりました。
 信じられないことに、総死傷者数では日本軍を上回っているそうです。

 たしかに、栗林の戦い方は戦理に誠実ではあったかもしれません。
 が、創造的ではなかったでしょう。

 水際作戦を金科玉条とする発想よりは、いくらかマシであったかもしれませんが――
 結局は五十歩百歩であったといわざるをえません。

 それが戦争というものですから、致し方ないのですが――

 こうしたことを――
 僕は「水際作戦」という言葉から思い起こしてしまいます。

 ですから――
 昨今のパンデミック騒ぎに絡んで「水際作戦」という言葉を耳にすると、気持ちが自然に暗くなります。

(もう少しマシな言葉はないのか)
 と思います。