宮崎県の東国原知事が、次の衆院選への立候補を断念しましたね。
断念は正しい判断であったと思います。
当初、立候補をする条件として、自民党の総裁ポストを暗に挙げられたときに――
僕は、
(これは痛快だ)
と感じました。
が、そうした印象は、次第に薄められていきました。
というのは――
その後の報道内容を把握していくにつれて、
(なんだ。この人は単に国会議員になりたいだけなのか)
と感じるようになったからです。
もちろん、真相は東国原知事本人にしかわからないことですから、ここであれこれ述べるつもりはありません。
が――
今度の騒動で改めて痛感したのは、
――政治家は、いかに自分の言動を無私なものに保つかが命綱である。
ということでした。
「私(わたくし)」の本音の部分を見透かされたら、周囲の協力や支持は絶対に得られない、ということです。
おそらくは――
誤解を与えてもいけないのですね。
実際には無私の精神で頑張っているのに、そうではないと烙印を押されたら、もう取り返しがつきません。
それが政治家の宿命です。
裏を返せば――
有権者は、日々、政治家の本音を見透かすのが宿命なのでしょう。
どうにかして見透かそうとして、あらゆる角度から懐疑の視線を注ぎこみ――
それでも本音を見透かせないようなときに初めて、その政治家を信じ、支えていく――
それが、有権者のあるべき姿であるように感じます。
実をいえば――
僕は、このような政治家の本心をあぶりだすような見方を嫌っていたのです。
いわゆるワイドショー的な見方は、有権者としての判断を狂わせると思っていました。
が――
ときには判断を正すことがあるようです。
政治家を見る目は常に複眼的であるのがよいのは、いうまでもないことですが――
ときには芸能リポーターのような視線も借用するくらい徹底的に複眼的であるべきなのだろうと思います。