何年か前に、新聞の投書でよんだ話です。
あるとき――
留守番電話の録音に全く心当たりのない要件が入っていました。
その声の主は、聞き慣れない名前を名乗ったあと――
丁寧なお悔やみの言葉を述べ始めました。
身内を亡くした人への慰めの言葉でした。
すぐに間違い電話だとわかりました。
が――
そのお悔やみが、あまりにも心を打つ風情であったので――
折り返しの電話を入れ、その声の主に間違いであることを告げたいと思いました。
ところが――
電話番号がわかりません。
番号表示の機能がついていなかったのです。
結局、どうしようもなくて、きょうまで、そのままにしてある――
あの素晴らしいお悔やみの言葉が宙に浮いてしまったことが残念でならない――
そういった内容の投書でした。
*
これをよんで――
たしかに、そういうこともありうるとは思ったのですが、
(ちょっと、できすぎてるなあ)
と感じたことも事実でした。
(作った話なんじゃないの?)
と――
が――
昨日――
自分の身にも、似たようなことが起こりました。
*
仕事で使っている携帯電話に、全く心当たりのない録音が入っていたのです。
「もしもし、あのう……○○さん? ……連絡、お待ちしています」
年配の女性の声でした。
職場で共有されている携帯電話です。
そのような女性から、そのような要件でかかってくるはずがありません。
(これはゼッタイ間違い電話だな)
と思って、そのまま録音を消去しようと思ったのですが――
ハタと指が止まりました。
先ほどの投書のことを思い出したのです。
折り返しの電話をするかどうかで、迷いました。
無愛想にされたり嫌味をいわれたりするのはイヤだと思ったのですが、投書にあったような後味の悪さを引きずるのもイヤだと思ったので――
結局、折り返しの電話を入れることにしました。
2、3回のコールで、すぐに応答がありました。
留守番電話の女性と同じ声でした。
あまりにも応答が早かったので、焦りました。
説明がシドロモドロになってしまったのですが――
すぐに事情を理解して下さり、
「ああ、そうですか。それは、どうもすみませんでした」
と応じて下さりました。
丁寧で誠実な応対でした。
「実は、もう何年も連絡をとっていなかった人に、久しぶりに電話をかけてみたんです。ああ、そうですか。本当にすみませんでした。どうも、わざわざご丁寧に――」
電話を折り返して本当によかった、と感じました。