マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

議論を単に拡張するだけなら

 例えば――
 学問と芸術と――
 精神と物質と――
 政治と経済と――

 これらは互いに異なるものであることは明らかですが――
 では、両者の境界を、どこに、どんな風に引こうかと思うと途端に、思考が停止してしまいそうになるくらいに――
 両者の厳密な区分は困難です。

 学問にも芸術の要素はあり、芸術にも学問の要素はあり――
 精神は物質なしでは存しえず、物質は精神なしでは証しえず――
 政治は経済の影響を受け、経済は政治の影響を受けています。

 したがって――
 例えば、皆で学問の話をしているときに、誰かが芸術の話を持ち出したとしても――
 とりあえずは、議論は続くことになるのですが――
 そうした議論の拡張は、不毛な余儀といわざるをえないでしょう。

 学問と芸術との区分を故意に議論するのでない限り――通常の体裁で議論する限り――学問と芸術との違いは、疑わない前提になっているからです。

「不毛」が過激にすぎるならば、「後ろ向き」に改めます。

 こうした議論の拡張が、その議論を非創造的なものにしてしまうという教訓は、遅くとも20代の頃までに痛感しておくべきでしょう。

 議論を単に拡張するだけなら、誰にでもできることです。
 特段の知能や知識を必要としません。

 整理された書棚の中身を散らかすこと――
 鋪装された道路の上に落書きをすること――
 製本された書類をバラバラにすることに匹敵します。