マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

今ひとたびの逢ふこともがな

 9月3日の『道草日記』で、平安期の女流歌人和泉式部の歌に触れました。

 ―― あらざらむ この世のほかの思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな

 百人一首にも収められています。
 晩年に詠まれた歌だといわれています。
 有名な歌です。

 で――
 9月3日の『道草日記』では、この歌の現代語訳についても触れました。

 一般的な解釈によれば、

 ――私は間もなく死ぬようだ。あの世への思い出に、もう一度あなたと会いたい。

 である、と――
 どの文献をみても、だいたいそのような解釈になっています。

 が――
 あとで、ちょっと気になったのですが――
 この現代語訳の末尾の部分に、何か違和感はありませんか?

「違和感」の核は「あなた」です。
 原文では「今ひとたびの逢ふこともがな」となっています。
 現代語の「あなた」に相当する言葉は、どこにもありません。

「あなた」が省略されているといわれれば、それまでですが――
 では、はたして、その解釈が、和泉式部の生き様にふさわしいでしょうか。

「あなた」というからには、誰か特定の男性が思い浮かべられているとの解釈でしょう。

 が――
 数多の浮き名を流した和泉式部が、死を前にして、誰か特定の男性を思い浮かべるでしょうか。

 恋に身を捧げ、歌に心を注いだ女流歌人です。
 豪華絢爛な平安の世を、性愛の魅力と言葉の技巧とで、強かに生き抜きました。
 恋に恋をし、恋をし続けた一生でした。

 裏を返せば――
 恋の相手は、実は誰でもよかった――

 少なくとも――
 そんなに重要ではなかった――

 僕は、「今ひとたびの逢ふこともがな」の現代語訳に、「あなた」は不要だと思うのです。

「逢うこと」とは、文字通りに「逢瀬を重ねること」――
 つまり、「恋をすること」「恋に身を任せること」でしょう。

 よって、より適切な現代語訳は、

 ――私は間もなく死ぬようだ。あの世への思い出に、もう一度、恋がしたい。

 ではないでしょうか。