マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

偽物も大事

 池田晶子さんに著作に『14歳からの哲学~考えるための教科書』(トランスビュー、2003年)があります。

 その中に、

 ――本物と偽物

 と題された章があります。

 そこで、池田さんは語りかけるのです、14歳の読者に――
 曰く、

 ――本物と偽物とを見抜くには、自分が本物の人間にならなければダメだ。

 と――

 本物の人間というのは、簡単にいってしまえば、本当にやりたいことをやっている人間ということです。
 見栄とか安定とか、そういったことだけを念頭においた生活を送るのではなく――

 見栄や安定は、他人の真似をするからこそです。
 他人と同じ目標に至ることで見栄が満たされ、他人と同じことを行うことで安定が得られるのですよね。

 が――
 他人の真似である以上、それは偽物であると、池田さんはいいます。

 そして、偽物はダメだ、とも――

 偽物は本物があって初めて存立しうるが、本物はそれだけで十全に存立しうる――
 偽物は、本物にどうしようもなく従属しているという点において、一段、劣る――
 ということです。

 たしかに、その通りです。
 説得力があります。

 が――
 これを前提に話を進めると、かなり生きづらいことになりますね。

 14歳を窒息させかねない――(苦笑

 なぜならば――
 池田さんのいう本物は、少なくとも実社会では、極めて稀です。
 だって、世の中は偽物だらけなのですから――

 貨幣がそうです。
 言葉がそうです。

 いずれも、実物の価値、個人の思惟を、かりそめに具現したものです。
 物なしの貨幣は意味をなさず、人なしの言葉は意味をなしません。

 それでも、人は言葉を覚え、貨幣を使います。

 それが、世の中の実態です。

 もちろん――
 本物と偽物とを見分ける洞察力はあったほうがいいでしょう。
 本物は見抜けないよりは見抜けたほうがいい――

 が――
 より大切なのは、偽物も、本物に負けないくらいに大切だ、という認識です。

 平時は偽物でもいいのです。
 だって、人々の生活を支えているのは偽物なのですから――

 本物を見抜かねばならないのは、有事のときです。

 人生の重大な岐路に差し掛かっているときです。

 そういうときでもなければ――
 池田さんの主張は、少なくとも普通の14歳には、ピンとこないでしょうね。

 それは、この章に限ったことではなく――
『14歳からの哲学』の全ての章にいえることだと感じます。