マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

森が動くということ

 自分の心と他人の心と、どちらが動かしやすいかといえば――
 皆さんは、どちらだと思われるでしょうか。

 例えば、とくに手に入れたいとは思わないものが目の前にある――
 それを心から、

 ――欲しい!

 と思って手に入れるように仕向けるのです。

 そのように自分を仕向けるのが難しいのか――
 それとも、他人を仕向けるのが難しいのか――

 僕は、自分を仕向けるほうが、ずっと難しいと感じています。

 なぜならば、自分の心は、自分に一番よくみえているからです。

 よくみえているから――
 例えば、それをなぜ手に入れたいと思わないのか、その理由が幾つもみえている――

 むしろ、理由が幾つもみえすぎていて、自分は、本当はどうしたいのかが、全然わからないでいる――
 そういうことすら、ありえます。

 よく、

 ――自分の心は自分が一番わからない。

 などといいますが――
 あれは、いわゆる「木をみて森をみず」のことをいっているのでしょう。

 1本1本の木は呆れるほどによくみえる――
 その分、森全体のことはよくみえない――

 だから――
 自分の心を動かすのは、本当に大変なのです。

 森全体を動かさなければなりません。

 森を動かすのは大変なのですよ。

 シェイクスピアの『マクベス』で――
 イングランド軍は兵一人ひとりに森の木の枝を付けさせることで「森を動かし」ましたが――
 それと似たような手間が必要でしょう。

 そうまでして森が動いた果てに起こることは――
 はかりしれぬ錯乱かもしれませんよ。

「森を動かし」たイングランド軍に居城を攻め込まれ、『マクベス』の主人公マクベスは命を落とすのです。