因果応報は自然発生的であるからこそ、畏れを感じさせるのであって――
作為的な因果応報は、それを仕向けた者の欺瞞・傲慢が表出したものにすぎません。
何の話かというと――
物語の話です。
物語の紡ぎ手と物語の中の因果応報とについての話です。
例えば――
ある物語の中で、善い事をした登場人物が報われて悪い事をした登場人物が呪われるとき――
露になるのは、その物語の紡ぎ手の欺瞞・傲慢である――
という話です。
物語の紡ぎ手が、傲慢に裁定を下している――
そして、それをあたかも自然の摂理であるかのように語ろうとする欺瞞――
そうではありません。
それは、物語の紡ぎ手の単なる思い込みを反映したものにすぎません。
実際の世の中は、そのように単純に割り切れるものではない――
善い事をしても呪われうるし、悪い事をしても報われうる――
世界は混沌が渦巻く滅茶苦茶な混乱です。
その世界の中で、ごく希に、因果応報の事象が起こる――
まさに自然発生的に起こる――
そのごくごく希少な事象を、人々は感銘をもって心に刻むのです。
因果応報は、現実の中でこそ、輝きます。
物語の中では、所詮、模造品の輝きです。