マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

政治は人間関係の動態

 政治というのは、突き詰めていけば、人間関係になるのですよね。

 政治は人間関係の動態である、ということです。

 ときどき、

 ――3人寄れば政治が始まる。

 などといいますが――
 あれは、あくまでも「3人」であって「2人」ではありません。

 なぜ、2人ではダメなのかというと――
 動態が生じるには、要素が最低でも2つは必要だからです。

 例えば、AさんとBさんとが寄った場合に、A対Bの1つの人間関係しか生まれません。
 が、Aさん、Bさん、Cさんの3人が寄った場合には、A対B、B対C、C対Aの3つの人間関係が生じます。
 だから、人間関係の動態が生じるのですね。

 政治は人間関係であるということは――
 例えば、お茶の間でTVのニュースをみながら、

 ――この大臣、どうしようもねえな!

 などと悪態をついているだけでは――
 政治に参加していることにも、政治に関心を持っていることにもならない――
 ということです。

 お茶の間でTVのニュースをみているだけでは――
 いかなる人間関係にも関われないからです。

 ところが――
 例えば、政治家の街頭演説に出かけ、

 ――このヘボ大臣!

 と大声で悪態をつくことなどをすれば――
 政治が始まるでしょう。

 そのように悪態をつくことで、その政治家との人間関係が曲がりなりにも生じ――
 かつ、その演説に集まった聴衆の一人ひとりとの人間関係も生じることで――
 それら人間関係の集合が動態を獲得するからです。

 つまり――
 安全な場で文句だけをいっているような人は政治の本質を知らない、ということです。