――政治とカネ
の話が喧(かまびす)しいですね。
昨今も――
政権の要人に関わる金銭疑惑が、連日のように報道されています。
そうした疑惑の真偽はともかく――
相応のカネが政治に必要なのは、否定しがたい事実のようです。
では、なぜ政治にカネが必要なのでしょう?
この問いについては、あまり深く考えたことはありませんでした。
政治にカネがかかるのは、当たり前だと思っていたからです。
が――
なぜ、そうなのか。
ちょっと考え始めてみると――
意外に面白い結論に到達しそうです。
試みに――
カネのかからない政治を夢想してみましょう。
それは、どのような政治でしょうか。
おそらく、実費しかかからない政治です。
政治とは、社会における利害調整のことですから――
政治家の仕事は、利害が対立する者同士の間に立って仲裁に努めることです。
その仲裁には経費がかかります。
社会の実態を調査したり、その調査の報告書を作ったり、会議を開き、皆で討論しあったり、その結果を社会に広く伝えたり――
そうした活動にかかる経費の全てが、政治の「実費」です。
ところが――
これとは別に、カネをかけたくなるところがあります。
もっと直接的なかけ方です。
それを、うんと簡略にして述べてしまうと――
利害が対立する者同士の間に立って仲裁をした結果、損をさせることになる当事者に対し、
――ひとつ、これで我慢してくれ。
と、カネを手渡す――
そんな場合です。
こうした仲裁は、簡単にいえば手抜きですから、正当化は原理的に難しいと思いますが――
実際の政治では、十分に時間をかけられることは、ほとんどないでしょうから――
こうした手法が有効なことは、想像にかたくありません。
つまり――
政治とは、社会における利害調整のことですが――
その利害調整をカネの受け渡しに置き換えてしまえば、手っ取り早く仲裁を済ませることができるというのが――
政治とカネとの最大のポイントではないでしょうか。
社会における利害調整を当事者へのカネの受け渡しで代替することの容易さが――
政治とカネとを深く結びつけているように思えます。
仕方のないことでしょう。
そもそもカネとは、ヒトの脳が、進化の過程で、物事の利害を判断するために導入した概念なのでしょうから――