良い詞というものは――
メッセージ性もさることながら――
やはり、言葉遊びの完成度にかかっていると感じます。
メッセージ性というのは――
その詞が人の心に響くかどうかということです。
これに対し、言葉遊びの完成度とは――
声に出して読んだときにリズムがあるかとか――
しゃれた韻を踏んでいるかとか――
言葉の配置に対称性があるかとか――
文法を大きく逸脱していないかとか――
野暮ったい言い回しを頻用していないかとか――
そういったことです。
詞の中には――
メッセージ性に優れているのに、言葉遊びの完成度が高くなくて、いまひとつ魅力に欠ける――
というのがあります。
(惜しいな~)
と思うのですよ。
(オレが直してやろうか~)
などとも思います(笑
が――
本当に「直してやろう」と思って、あれこれと考えを巡らし、幾つか言葉を選び始めたりしてみると――
やはり、それ以上はどうにもできずに、ドロンと思考停止に陥ってしまう――
ということが、よくあります。
(だから、作詞者も、それ以上は筆を加えなかったのか)
と痛感するのです。
詞における言葉遊びの完成度というものは――
作詞者が推敲の努力を重ねれば重ねるほどに高まっていくものではなく――
作詞者が、その詞を着想したその瞬間に、すでに完成度の上限が定められており――
その限界を越えることなどはありえないのだ――
と感じます。