マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

書き手当人が気づかなかった“完全なる片思い”に、読み手のほうが先に気づく

 書き手当人が気づいていないことを――
 読み手のほうが先に気づくということは――
 ありうるのかということを――
 今、考えています。

 例えば――
 ある作詞家が、自分の恋愛体験を基に詞を書いたとして――
 その詞を読んだ人が、

 ――あ。この詞の「私」は、この詞の「あなた」から、終始、恋愛の対象とは見られていなかったようだな。

 ということに気づくということが、ありうるのか――
 ということです。

 ……

 ……

 僕は、
(ありうる)
 と思っています。

 では――
 どういう場合に、ありうるのか――

 それは、第一に――
 その作詞家が、

 ――恋

 という感情を十分に理解していなかった場合――例えば、「恋」と「愛」とを混同してしまっていたような場合――です。

 そして、第二に――
 その作詞家が言葉の扱いに長けていて――
 自分の感情や当時の状況を余すところなく正確に表現することができていた場合です。

 これら2つの場合が重なったときには――

 書き手当人が気づかなかった“完全なる片思い”に――
 読み手のほうが先に気づく――
 ということが、
(十分にありうる)
 と、僕は思っています。

 まあ――
 滅多に起こらないことだろうとは思いますが……。