正月三箇日も3日目となれば――
日常の気配が立ち戻ってきます。
ふつうの日曜日と、あまり変わりがない――(笑
ところが、唯一、
(あれ?)
と思うのが――
街中をゆく10代や20代の人たちが大きなカバンをもっていることです。
これから自宅に戻るわけですね――
帰省先の実家から――
どことなく憂鬱な顔で――でも、わりとスッキリとした顔で――
新幹線の駅や長距離バスの待ち合い室に入っていきます。
やはり、お正月を実家ですごす人は多いのですね。
僕個人の話をすれば――
*
20代の頃は――
実家で正月をすごすことは、ほとんどありませんでした。
年末年始にアルバイトをしていたせいもありますが――
最大の理由は、実家の不在です。
僕の父母は、家を3つも建てました。
つまり、3回も家を換えたのですよ。
それはそれで、立派な話といえなくもないのですが――(笑
家を3回も換えたことは、僕には良い影響は与えませんでした。
問題なのは3つ目の家です。
この家は、父が亡くなったあと、母が所有をしているのですが――
僕にとっては、なじみのない家です。
正味2年くらいしか住んでいないのですね。
そういう家に帰るというのが、20代の僕にとっての帰省でした。
もちろん、そこには父母や妹がいたわけですが――
家というのは、それだけではないと思うのです。
家は人だけで成り立つわけではない――
家の機能的な側面だけをみれば――
家は人だけで成り立っているのかもしれません。
戦国武将の武田信玄は、
――人は城、人は石垣、人は堀
の思想で領国を防衛したといわれていますが――
領地防衛という機能をみれば――
たしかに、城は人だけで成り立っているといってよいでしょう。
が――
城の城らしさ――領国の象徴としての趣き――といったものは――
城から人を差し引いたあとに残るものです。
家も同じでしょう。
家の家らしさ――家庭の雰囲気の温かみ――といったものは――
家から人を差し引いたあとに残るものであり――
20代の僕が、そういう家らしさを欠いていた実家へ、どうしても帰る気持ちになれなかったのは、仕方のないことでありました。
それでも――
そういう実家に帰ってあげれば、父母は喜んだであろうということは――
今の僕には、わかります。
父母が、自分たちの3つ目の家に、息子にとっての家らしさを付与できなかったのは――
運命の悪戯でした。
父母は、好んで家を換えたのでありません。
そこまで洞察していれば――
20代の僕は、正月に実家へ帰省したことでしょう。
が――
事実は、そうしなかった――
それが良かったとか悪かったとか、後悔をしているとか後悔をしていないとか――
そういった尺度で過去を振り返っているのではありません。
(ただ、そういうことだったんだ)
ということを――
30代になった今、振り返ってみたのです。