マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

説得をする、説得をされる

 説得をするのが上手な人は――
 説得をされるのもまた上手なものです。

 説得が上手な人はゼッタイに他人の説得は受け入れないと思われがちですが――
 そうではありません。

 他人の説得を受け入れず、いたずらに説得をしようと躍起になる人は――
 ただの強弁にこだわっているだけであり、真に説得を試みようとはしていない人です。

 説得が上手な人は、なぜ説得をされるのも上手なのでしょうか。

 それは――
 説得をするときも説得をされるときも、ともに理屈を扱うからです。

 言葉で表される論理的な枠組みや論理的な筋書きを共有することで――
 人は説得をしたり、説得をされたりしています。

 理屈の扱いに長けている人や理屈を扱ってきた経験が豊富な人は――
 説得をしたり、説得をされたりするときも、スムーズなのですね。

 ところで――
 説得をすることと説得をされることとでは――
 どちらが難しいでしょうか。

 僕は、説得をされるほうが、説得をするほうよりも、少し難しいと感じます。
 なぜならば、説得をされるほうは、相手の組み立てた論理的な枠組みや論理的な筋書きを理解しなければならないからです。

 それら枠組みや筋書きは、説得をされるほうには未知のものです。
 未知のものを認識し、理解し、咀嚼しなければならない――

 逞しい想像力と豊かな感受性とが求められます。