マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

説得と説明とを取り違えると面倒

 ――教師の仕事の基本は、児童や生徒を説得し、納得させることだ。

 という考え方があるそうです。

(いや、それ、おかしいだろ)
 と――
 即座に違和感を覚えました。

 ――説得し、納得させる

 ではなく、

 ――説明し、納得させる

 か、

 ――説得し、了解させる

 かであろう、と――

 ……

 ……

 説得は、事実認定や論理展開による強制了解です。

 よって――
 説得によって、納得が得られることもありますが――

 それは――
 事実認定や論理展開に、よほど慣れ親しんでいる児童や生徒に限られるでしょう。

 簡単にいうと――
 知的に十分に発達している児童や生徒に限られる――
 ということです。

 事実認定や論理展開に慣れ親しんでいない児童や生徒の場合は――
 説得は無効です。

 説得ではなく――
 説明をすることによって――
 その説明の内容に対して、事実や論理の超えたところで、幸いにも、共感なり理解なりが得られれば――
 それが、納得です。

 ……

 ……

 ――説明し、納得させるか

 か、

 ――説得し、了解させるか

 か――

 ……

 ……

 この判断は――
 相手が事実認定や論理展開に慣れ親しんでいるか否かによります。

 事実認定や論理展開に慣れ親しんでいるということは――
 とりもなおさず、

 ――説得される能力がある。

 ということです。

 説得される能力が十分であれば――
 説得を試みるのがよいでしょう。

 説得される能力が不十分であれば――
 説得ではなく――
 説明を試みるのがよいでしょう。

 ただし――
 両者を取り違えると――
 面倒なことになります。

 すなわち――

 説得される能力が十分にあるのに――
 説明ばかりしていると、

 ――この教師は、事実認定や論理展開が苦手なのか。

 と見下されます。

 また――
 説得される能力が不十分であるのに――
 説得ばかりしていると、

 ――この教師は何がいいたいのか 全くわからない。

 と苛立たれます。