理にかなっているのに、愚かな計画――
あるいは、あきらかに愚かなことをやろうとしているのに、一見、理にかなっている計画――
というのが、あります。
ここでいう“理にかなっている”とは、どういうことか――
十分に論理が駆使され、緻密に考えられている、ということです。
それなのに、なぜ“愚か”にみえるのか――
簡単です。
論理が空転しているからです。
論理は正しい事実認定が前提となって駆使されます。
事実認定が間違っていたり、秘匿されたりしていれば――
たとえ、論理的に完璧であっても――
それは愚かな計画にみえるか、実際に愚かな計画です。