マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

理にかなっているのに、愚かな計画

 理にかなっているのに、愚かな計画――
 あるいは、あきらかに愚かなことをやろうとしているのに、一見、理にかなっている計画――
 というのが、あります。

 ここでいう“理にかなっている”とは、どういうことか――

 十分に論理が駆使され、緻密に考えられている、ということです。

 それなのに、なぜ“愚か”にみえるのか――

 簡単です。

 論理が空転しているからです。

 論理は正しい事実認定が前提となって駆使されます。

 事実認定が間違っていたり、秘匿されたりしていれば――
 たとえ、論理的に完璧であっても――
 それは愚かな計画にみえるか、実際に愚かな計画です。