マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

確率論が確率論らしさを発揮するには

 確率論は数学の一分野ですが――
 例えば、高校生に確率論の初歩を教えるときに、
(これほど矛盾に満ちた分野はないよな~)
 などと感じることがあるのです。

 矛盾とは何か――

 それは、

 ――確率論が確率論らしさを発揮するには、数学らしさを捨てなければならない。

 という点です。

 例えば、

 ――立方体を平面上に転がしたときに、特定の面が上になる確率は6分の1である。

 というのが数学らしさだとしたら――
 確率論らしさというのは、

 ――サイコロを振ったときに、1の目が出る確率は6分の1である。

 というものでしょう。

 確率論らしさに基礎を与えているものは、日常に根差したわかりやすさ――親しみやすさ――です。
 これが前面に押し出されているときに、確率論は確率論らしさを発揮します。

 この例でいえば、確率論らしさを演出しているのは、「サイコロ」とか「1の目」とかいう言葉です。

 が、これら言葉は、あんまり数学らしくはないですよね。
「サイコロ」や「1の目」から真っ先に思い浮かべるのは、双六(すごろく)とか博打とかいったものでしょう(笑

 にもかかわらず、確率論は数学の一分野とみなされている――
 そこが矛盾だといいたいのです。

 ひょっとすると――
 確率論は、本来、数学の一分野などではないのかもしれませんよ。

 例えば、認識論の一分野なのかもしれません。