マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

人間を社会的な側面と生物的な側面とに

 人間を社会的な側面と生物的な側面とに分けるとするならば――
 多くの人は、自分の社会的な側面のみに注意を向け、生物的な側面には注意を向けていないでしょう。

 なぜ、そうかといえば――
 人が、自分の生物的な側面を意識するのは、多くの場合、病気や怪我で苦しんでいるときだからです。

 病気や怪我のために、自分の体が、自分の思うようには動かせない――
 そういうときに、人は、自分が生物であることを実感します。

 より正確には、

 ――自分も「生き物」という名の物なのだ。

 ということを実感します。

 この実感は、大変に特異な性質をもっていて――
 だからこそ、ある日――
 大病を患った人が、まるで別人の性格に変わったり――
 重傷を負った人が、大きく生き方を変えたりするわけです。

 自分の生物的な側面というのは、自分と表裏一体でありながら、自分では一番みにくいところ――顔――に掛かっている異形の面です。

 その面は、能面のように素っ気ない作りをしているのですが――
 実際の能面がそうであるように――
 様々な角度から様々な見方をすることによって、多彩な様相を呈します。

 ときには菩薩の顔立に――
 ときには般若の顔立に――

 菩薩でも般若でもよいでしょう。
 どうせ変化自在なのですから――

 そういう異形の面が、常に自分の顔に掛かったままで暮らしているのだということに、できるだけ早い段階で気付ければ――
 異形は異形ではなくなるでしょう。

 医学を学ぶ意義の一つが、そこにあります。