マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

民主主義、自然科学

 しばしば、

 ――民主主義は手続きである。

 といわれます。

 この場合の「手続き」とは――
 世の中の多く人々が、何らかの政治的な決定に対し、少しでも理解をし、納得をするための手続きです。

 この話に触れるときに、いつも思うのは、

 ――自然科学も手続きである。

 ということです。

 この場合の「手続き」とは――
 世の中の多くの人々が、自然現象の説明に対し、少しでも理解をし、納得をするための手続きです。

 民主主義の手続きの基盤は多数決でしょう。

 自然科学の手続きの基盤は実験や観測です。

 ここで注意すべきは――
 民主主義においては、多数決が絶対的な善であるとはみなされていない点でしょう。

 多数意見が誤っていることもある――
 少数意見が常に常軌を逸しているとは限らない――

 が――
 他にマシな手法が見当たらないので、多数決を重視せざるをえません。

 自然科学も同じです。

 実は――
 自然科学においても、民主主義における多数決がそうであるように、実験や観測が絶対的な善であるとはみなせません。

 事実や論理に基づいた説明が誤っていることもある――
 事実や論理に反した説明が常に真理を突いていないとは限らない――

 が――
 他にマシな手法が見当たらないので、実験や観測を重視せざるをえないのです。

 こうした観点でみてみると――
 民主主義と自然科学とは、驚くほどに似ています。

 自然科学の確かさや危うさは、民主主義の確かさや危うさに通底しているといってよいでしょう。