マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ウソかホントかわからない迫真の物語より

 物語の受け手の立場では――
 ウソかホントかわからない迫真の物語より、すぐにウソとわかる荒唐無稽な物語のほうが、ずっと気楽なのですよね。

 どうせ迫真の物語に付き合わされるなら――
 正真正銘の事実と向き合いたい――

 むろん、そんな「事実」が実在するならば、ですが――(笑
 その話は、ちょっと奥が深いので、きょうは立ち入りません。

 物語の受け手にとって、ウソかホントかをわからなくするような修辞は、かえって邪魔なのです。
 わかりにくい分だけ、負担を強いられている――

 が――
 そのことを、物語の送り手は察知しづらいのです。

 むしろ――
 受け手は、その「わかりにくさ」を心から楽しんでくれていると、本気で信じてしまうようなところがある――

 そうではありません。

 ウソかホントかわからない迫真の物語に横たわるのは――
 おそらくは、

 ――物語の受け手が、物語の送り手のイタズラに、辛抱強く付き合ってあげる。

 という構図でしょう。

 そのことに、物語の送り手は常に自覚的であるほうがよいと思います。