マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

戦争を物語に描く意義は

 戦争を物語に描く意義は、どこにあるのでしょうね。

 世に戦争が主題の物語は数多くありますが――
 個々の作品の狙いは、どれも似通っているように思います。

 もし、敢えて最大公約数的なところを指摘するとしたら、

 ――戦争の面白さを描く。

 になるでしょう。

 戦争から人殺しの要素を取り去ると――
 たしかに、戦争は面白いのです。

 例えば、戦略や戦術の機微には人間心理が織り込まれており、その編目から人間模様が滲み出ることは、しばしばです。

 が――
 現実の戦争が人殺しと不可分である以上――
 物語の中であっても、それを意識しないわけにはいきません。

 だとしたら――
 物語の紡ぎ手の倫理として、戦争を描くときには、戦争の人殺しの要素をきちんと描くことが求められましょう。

 たしかに、そうではありますが――
 そこをきちんと描けば描くほどに――
 物語が、全体的に何となくお説教くさくなってしまうのですね。

 なぜならば――
 人殺しがいけないということは、皆、頭ではわかっているから――

 お説教くささは物語の鮮度を蝕みます。
 はなはだしく興を削ぐ――

 だから――
 多くの物語が、戦争から人殺しの要素を取り除くことになるのです。

 そこに描かれるのは、

 ――綺麗な戦争

 です。
 人殺しのことなどは、いっさい思い起こさせないような戦争――

 もし、そういうものは描きたくないというならば――
 戦争を描くこと、それ自体を諦めざるをえませんね。

 そうやって戦争を描くことから遠ざかっているクリエイターも、そんなに少なくはないように感じます。