マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

親は子の冒険をどこまで赦せるのか

 親は子の冒険をどこまで赦せるのか――
 ということが気になっています。

 一般に親は子よりも人生経験が豊かであり――
 その分、世間の恐ろしさをよくわかっています。

 そんな世間の荒波に向かって我が子が漕ぎ出そうというときに――
 親はどこまで赦せるものなのか――どこまで赦すべきなのか――

 世間の恐ろしさは実際に体験をしないとわかりません。

 だから、子が冒険しようというときに、親がいくら、

 ――そんな無謀なこと、やめなさい!

 といっても、聞く耳はもたれないでしょう。

 そのことがよくわかっている親は、何もいいません。
 黙って笑顔で我が子を送り出す――

 が――
 黙って笑顔で送り出すのが親の務めか問われれば、答えは否です。

 世間の恐ろしさには、色々あるからです。

 冒険に出た我が子が挫折をし、失意の内に身一つで帰ってくる分にはいいのですが――
 命を奪われたり、心身に回復不可能な傷を負ったりすると、取り返しがつきません。

 我が子がそのような目にあっても――
 黙って笑顔で送り出した自分を悔やまない親は、滅多にいないでしょう。

 親は子の冒険をどこまで赦すべきなのか。

 理屈では簡単です。
 取り返しのつかない過ちをおかさない程度に赦すべきなのです。

 では、どこまで取り返しがつき、どこから取り返しがつかないのか――
 そこをどう嗅ぎ分けるかがポイントでしょう。

 この嗅ぎ分けは容易ではない――

 親でも判断を誤ることは少なくない――

 結局のところ――
 その嗅ぎ分けのセンサーを我が子に植え付けること以上の対策はないように思います。

 それが親の最大の役割なのでしょう。