マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

日本の国内にいながら日本を感じられない

 僕が岡山で高校生活を送っていた1990年前後は――
 地方都市の街中で外国人とスレ違ったりすると、
(へ~。こんなところで何してるんだろ?)
 などと思ったものです。

 当時、外国人といえば、ほとんどは白人でした。
 その多くは西欧人だったでしょう。

 日本の地方都市に観光で来る西欧人がたまにいると、きかされていました。

 で――
 僕は高校を卒業し、東京に移住しました。

 東京に来て、
(へえ~!)
 と思ったのは、たくさんの外国人と街中でスレ違うことです。
 しかも、その外国人の多くはアジア系でした。

 褐色の肌の人たちが目立ちましたね。
 東南アジア系の人たちだったのでしょう。

 さらにいえば――
 観光で来ているとは思えない人たちばかりでした。

(どうみても、ここに定住してるだろ)
 というような人たちです。

(東京は、だんだん日本じゃなくなりつつあるのかな~)
 などと思いましたよ。

 それから15年以上が経ち――

 近年では――
 東京だけではありませんね。

 例えば、僕が今、住んでいる仙台の街中でも、ちょっと安めの食堂に入ったりすると――
 隣のテーブルでは中国語が飛び交っていたりします。

 きのうも、そうでした。
 夕食をとっていたら、隣は中国人の若者たちでした。
 20代前半かな――

 彼らの声があまりにも大きくて、屈託がなかったので――
 まるで僕のほうが中国の都市に放り込まれたような気分になりました。

 日本の都市は、仙台のような地方都市も含めて、もはや日本人だけのものではなくなっているのでしょう。

 そのこと自体を肯定的にも否定的にもとらえたくはありません。

 が――
 日本の国内にいながら日本を感じられないということが、日常茶飯事になっていることは――
 頭の片隅に入れておいたほうがよさそうです。

 つまり――
 異文化コミュニケーションを海外旅行に頼る時代は完全に終わったということですね。

 むしろ、日本の国内にいるほうが、異文化コミュニケーションはやりやすいのかもしれない――
 海外旅行の滞在先で知り合った外国人が日本語を喋る確率は微小でしょうが――
 日本の国内に滞在している外国人なら、日本語を喋る確率を多少は期待できるでしょう。