マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「自分は何者か?」がわからなくても

 自分で自分に、

 ――何者か?

 と問う人たちがいます。
 とくに若い人たちに多い――

 一時、そんな自問が流行したこともありました。
 さらながら、ファッション感覚で――

 つまり、

 ――カッコよさ

 の追求のために――
「自分は何者か?」と問うている人たちもいました。

 でもね――
 僕は思うのですよ。

 そういう自問は、むしろカッコよくないのではないか、と――

「自分は何者か?」と問うているのですから――
 当然、その人は、自分が何者であるかがわかっていないわけですよね。

 それだけでなく――
 自分が何者であるかがわからずに、それを不安に思っている――

 たしかに――
 自分が何者であるかを十分に弁えている人は、カッコいいでしょう。

 けれども――
 自分が何者であるかがわからないなのに平然としている人というのも、それなりにカッコいいと、僕は思っています。

 ――「自分は何者か?」は、他者が問うべきことであり、自分で問うべきことではない。

 あるいは、

 ――「自分は何者か?」がわからなくても、恐れずに生きていくだけだ。

 と――

 そういう覚悟の在り方に、僕は惹かれます。