マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

国家や政府は観念的な道具

 国家や政府は、基本的には道具だと思っています。
 人々が政治を行うための――相互の利害関係を調整するための――観念的な道具である、と――

 重要なのは「観念的な」という点です。
 国家も政府も観念なので、どこまでも肥大化させることができてしまいます。

 とくに、国家や政府の権限を強大化させたい人々の数が増えれば増えるほどに、その危険性は増していきます。

 観念ですから、虚構も混ざりやすい――
 虚構が混ざれば、不可能が可能に化けることさえ、あります。

 虚構に彩られた道具は危険ですよ。
 使い方が誤られるかもしれないからです。

 例えば、モデルガンに「実弾も発射できる」という虚構が混ざれば、大変なことになりますよね。

 それと同じです。

 モデルガンにはモデルガンに相応しい役割があります。
 例えば、映画の小道具の一つとして、多くの人々に感動を与えたりとか――