日本人の青少年は、概して一度は、
――日本的なる観念
を拒む傾向にあるようです。
例えば、「甘え」とか「恥じ」とか「世間」とか――
僕も、10代、20代のときは、そうでした。
ふと、たまらなく疎ましく思える時がくるのです――日本的なるものの一切が――
本当は、それは、とても幸せなことなのですよね。
自分の性質の帰属する先が十分にわかっていることの裏返しなのです。
もし、わかっていなかったら――
疎ましく思う余地すら、ないのですから――
そのような人々が、世界には、大勢いるのですよね。
自分の性質の帰属する先がわからない――
自分の生い立ちをどこに求めればよいのか――
自分はいかなる文化圏に所属しているのか――
「日本的なる」などといって十把一絡げにできる境遇は――
かなり贅沢なことなのです。