マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

堕落か、妥協か、寛容か

 芸術家の本分は伝えることにあると思うのです。
 作品や公演を通し、何事かを同時代の鑑賞者に伝える――

 よって、鑑賞者を想定していない芸術家というのは――
 本来の役割を果たしていないといってよいでしょう。

 一方――
 学者の本分は残すことにあると思うのです。
 論文や講演を通し、後世に残すべき新たな知見を伝える――

 よって、学者は、芸術家のように伝える必要はありません。
 新たな知見は、同時代の人々には理解されえない意義を含んでいるかもしれない――
 だから、伝えることではなく残すことに注意を向ける――

 以上のように――
 芸術家と学者とは相異なる活動態度が求められるはずですが――
 現実は、そうもいかないところが多いのですね。

 芸術家が自分の作品や公演を後世に残すことにこだわったり――
 学者が自分の研究業績を同時代人に伝えることにこだわったり――

 20代の僕なら、その不徹底ぶりに憤っていたと思うのですが――
 30代も半ばを過ぎた今では、
(まあ、いいか)
 と思うようになっています。

 それが、

 ――堕落

 なのか、

 ――妥協

 なのか、

 ――寛容

 なのかは、わかりませんが――