マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

異文化理解のために

 異文化理解のために、とりあえず異文化の只中に飛び込んでみるというのは、意義深いことなのでしょうかね。
 例えば、欧米文化を知るために、気軽にハロウィーン・パーティなどに参加してみるというのは、それなりに意味のあることなのか、と――

 僕は、ハロウィーン・パーティの良さや面白さが、どうにも理解できないのです。

 日頃、身につけられないような奇抜なコスチュームを身につけて皆で楽しく騒ぐのがハロウィーン・パーティの醍醐味だそうですが、
(それのどこが楽しいんだろう?)
 などと思っています。

 そもそも、「日頃、身につけられないような奇抜なコスチューム」など、僕には思いつきません。
 そんな衣装を身につけたいとも思わない――

 こんなふうに思っている者が――
 とりあえず欧米文化を理解しようと思ってハロウィーン・パーティに参加するのは――
 ちょっと危険なことでしょう。
 うっかり何かのタブーに触れてしまう可能性すらある――

ハロウィーン・パーティに良さや面白さがない」といっているのではありません。
 その良さや面白さが僕にはわからない、といっているのです。

 わからないものはわからないことを明確に意識し、必要なら、その感覚を明確に表明することを躊躇してはいけない、と感じます。
 中途半端な親しみや憧れだけで異文化理解に取り組むと、無用なトラブルを生むことになりかねません。

 異文化に敬意を払うためには、異文化に接近する姿勢だけでなく、異文化と距離をとる姿勢も必要だと思うのです。