(寛容と傲慢とは紙一重だな)
と思うことがあります。
例えば――
――あいつは、どうしようもなくイヤなヤツだな~!
と思うような人物がいたとして――
それでも、その人物のことを許そうと思うときに、
――ああいうダメ人間も、その人なりに懸命に生きてはいるんだよ。
と自分に言い聞かせるとしたら――
そのとき、その人は、自分の心の中に寛容と傲慢とを紙一重で同居させていることになります。
つまり――
傲慢になることで初めて寛容にもなれるのだ、と――
「傲慢」というと、あまりにも語感が悪いので、「誇り」とかに言い換えてもよいのですが――
それだと、語感が良くなりすぎますね。
ここでの「傲慢」や「誇り」を、僕は、できるだけ中立的にとらえたいのです。
一般には、「寛容」は良いことで、「傲慢」は悪いことだとみなされますが――
そうではないだろう、と――
寛容になるためには、ある程度は傲慢でなければならないし――
傲慢であれば、ある程度は寛容になれるのではないか、ということです。
あるいは――
寛容になるための必要条件として傲慢がある、と――
もしくは――
傲慢に寛容の化粧を施すことでバランスをとる、と考えてもよいでしょう。