ちょっとしたアクシデントに、すぐに笑えるかどうかは、なかなかに重要です。
例えば、街中の雑踏を歩いていて、つまずき、思わず転びそうになったときに――
そのまま仏頂面でやりすごすか、軽く苦笑いを浮かべるかで、周囲の人たちに与える影響は段違いでしょう。
気になるのは――
そういうアクシデントにあったときに、とっさに笑えるか笑えないかは何で決まるのか、ということです。
18歳の頃に、同性の友人と道を歩いていて、何かにつまずき、転びそうになったことがあります。
つまずいた僕をみて、友人は笑ったのです。
――ぷはは! 大丈夫か~?
みたいな感じで――
それを、当時の僕は嘲笑ととりました。
その友人とは、そんなに仲が良かったわけではなく――
また、自然と敬意を払える気持ちにもなれなかったために――
嘲笑にしか感じとれなかったのでしょう。
今になって振り返ると、それは必ずしも嘲笑ではなく、僕への不器用な気遣いが含まれていたとは思うのですが――
仮に、それが嘲笑だったとしても――
巧く笑ってやりすごすことは不可能ではなかったと思うのです。
なぜ当時の僕には、それができなかったのか。
今も答えを探しています。