マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

小説仕立て

 ――小説を書こうと思ったら、まずは読みやすい文章を書く力だよ。

 ということは――
 硬派な文芸入門書では必ず触れられていることです。

 読者に、

 ――あ、最後まで読んでみたいな。

 と思わせる文章でないと――
 小説としては成立しないのですね。

 それが「小説仕立て」ということです。

 小説は、どんなに面白い物語を伝えていても、それだけではダメなのですよ。

 どんなに魅力的な登場人物が造形されていても――
 どんなに幻想的な舞台が構築されていても――
 どんなに波瀾万丈の筋書きが展開されていても――
 それを伝える文章が読みにくければ、小説としては受け入れられません。

 ですから――
 小説を書こうと思ったら――
 日常の実用文書なども小説仕立てで書いてみるのがよいでしょう。

 例えば――
 家族や友人に宛てた電子メールを小説仕立てで書いてみる――別にケータイ・メールでも構いませんよ。
 その日にあった出来事を小説みたいに伝えてみるのです。

 あるいは――
 職場の企画書を小説仕立てで書いてみるとか――
 その企画の価値を上司や同僚が理解してくれるように――

 メールや企画書を小説仕立てにするということは、一見、簡単に思えるかもしれません。

 が――
 実際には至難の技です。

 というのは、いかにも小説っぽい書き方をしたのでは――
 そのメールを受け取った家族や友人は失笑をし――
 その企画書を受け取った上司や同僚は唖然とするでしょう。

 奇を衒わず、誠実に、ありのままを書くことです。
 家族や友人や上司や同僚が、それをごく自然体で読めるように――

 それでいて、十分に小説仕立てになっている――
 少なくともそれを書いた本人は、十分に小説のつもりで書いている――

 そんなメールや企画書が理想です。

 繰り返しますが――

 ここでいう「小説仕立て」とは――
「読みやすい文章に仕上がっている」ということです。

 もう少し具体的にいえば――
「読者の関心を文末までキッチリと惹き付けている」ということです。

 読者を最後まで引っ張っていければ、かりに一切の虚構が含まれていなくても、十分に「小説仕立て」であります。
 逆に、読者を最後まで引っ張っていけなければ、かりに膨大な虚構が盛り込まれていても、「小説仕立て」ではありません。