真の気遣いは無言に限るのではないかと思うのですよ。
例えば――
特急列車の座席を後ろに倒すときに、
――倒してもいいですか?
と唐突に訊くのが気遣いなのではなくて――
後ろの座席の乗客が何をしているのかに注意を向けながら、ゆっくりと座席を倒していくのが本当の気遣いではないか、と――
そのときに、言葉は必ずしも要らないのではないか、と――
言葉をかけると――
かけられたほうがビックリするのですよね。
――なんだろう?
と――
かえって気分を害しかねない――
車の運転でも、似たような話をききました。
信号のない交差点にさしかかったときに、前方を横切ろうとする車に道を譲りたいならば――
とくにアイ・コンタクトをとったりせず、わざわざ手で合図を出したりせず、そのまま無言でジッと待っているのがよいのだそうです。
目と目とを合わせたりせず、片手を差し出す仕草をみせたりせず――
素知らぬ顔で前を向き続ける――
一見、かなり感じの悪い対応なのですが――
実は、これが最も安全な譲り方なのだそうです。
アイ・コンタクトや手の合図は誤解のもとになるらしいのですよ。
譲ったつもりが譲られて、「じゃあ」と思って交差点に入ってみたら、なぜか向こうも入ってきてガシャン――
ということが、わりとあるのだそうです。
――ひとたび譲ると決めたなら、ひたすら黙って前を向いているのがよい。
それが本当の意味で譲るということなのだ、と――
そうやって前を向いていたらキョトンとされたということはあるでしょう。
が――
ひたすら前を向いていたら、意図はすぐに伝わるものです。
空白の時間は、せいぜい数秒でしょう。
数秒なら大した損失ではありませんよね。
いずれにせよ――
座席を倒すときも車を運転するときも――
無言の気遣いが最も雄弁なのだろうと思います。