僕の『道草日記』は、しばしば悪い意味(笑)で、
――詩みたいだ。
と評されるのですが――
書いている当人は「詩を書こう」と思って書いているわけではありません。
ただ、日常の出来事にまつわる思いをありのままを書いているだけなのです。
が――
そうした思いを、日常の出来事から十分に遊離させることには心を砕いています。
そのように遊離させないと――
書くのがツラくなるからです。
その結果――
『道草日記』は、出来損ないの詩みたいになっているのでしょう(笑
僕の遭遇した日常の出来事がどのようなものなのかが――
すぐには特定できないようになっているからです。
詩の本質は、
――同じ文言が異なって解釈されうる。
あるいは、
――文脈が文言の意味を縛りすぎない。
というところにあると、僕は考えています。
それは――
簡単にいえば、
――自分の思いを日常の出来事から遊離させる。
ということだろうと思うのです。