マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

「ただ生きている」の閉塞感を拭いうる

 小説を書いていて、
(幸せだな)
 と思うのは、

 ――ただ生きているだけではない自分。

 を実感できるからです。

「ただ生きている」とは、

 ――日々の生活に追われて生きている。

 ということです。

 例えば――
 いつもと同じ時間に寝て、いつもと同じ時間に起き、いつもと同じようなものを食べ、いつもと同じ場所で働いて――
 その働きの対価として、これからも寝たり食べたりできる権利を得る――
 そうやって毎日を生きている――
 ということです。

 こうした営みに、「小説を書く」という行為は(プロの小説家を除けば)直結はしておりません。
 人は、「ただ生きている」とは別の次元で、小説を書いている――

 したがって、小説を書いているときというのは、「ただ生きている」の自分を、遠くから俯瞰できるような気持ちになるのですね。
 そうした実感が心に開放感をもたらすのです。

 もちろん、そのような開放感をもたらす行為は「小説を書く」に限ったことではありませんよ。

 そのような行為は、人それぞれでしょう。

 例えば――
 絵を描く、音楽を奏でる、映像を撮る、自然を探究する、思弁を深める――

 いずれも「ただ生きている」の閉塞感を拭いうる行為の具体例です。