やせ我慢は人に強いるものではないと思うのですよ。
例えば――
自分の死期を悟っている人が、死ぬ前にどうしてもやっておきたいと思うことがあって――
それを、たとえ不義理を働いてでも、やっておきたいというときに、
――そんな不義理を働くあなたを私は軽蔑する。
などと非難をするような人は――
ちょっと思いやりにかけるでしょう。
人は、死んでしまえば、それまでなのですから――
もちろん、そのように非難をする人は、
――私だって、自分の死期くらいは悟っている。仮に死期が迫っていても、不義理を働くべきではないのだ。
などと反論をするのでしょうが――
それは「やせ我慢」です。
もちろん――
やせ我慢を自分でするのは、かまいませんよ。
が――
それを人に押し付けたら、思いやりのなさです。