女の色気というのは、わかりやすいのですが――
男の色気というのは、非常にわかりにくい――
女の色気なら、男性はもちろん、女性にもなじみがあって――
すぐにそれとわかります。
が――
男の色気となると、途端に難しい――
生物学的には、ヒトは女性として生まれるように基本設計されていると考えられています。
男性は、女性に男性的な修飾がかかって生まれてくるのですね。
こうした生物学的な知見をただちに援用するのは軽率ですが――
それでも、男の色気が女の色気と比べて格段にとらえどころがないという経験的直観は無視できません。
何がいいたいのかと、いいますと――
人には、女の色気とそうでない色気とが備わっているだけである、ということです。
女の色気は実存するが――
男の色気は実存しない――それは幻影である、と――
「幻影」というのは、少々いいすぎでしょう。
もう少し慎重にいえば、こうです。
すなわち――
女の色気というものは、生物種としてのヒトの生殖機能に深く根差した現実的感覚であるのに対し――
男の色気というものは、人の意識が創造した虚構的産物である、と――
つまり――
女の色気は、男女を問わず、ほぼ万人に共有されうる概念であるが――
男の色気は、男女で共有されることはもちろん、男同士や女同士で共有されることもない――
それは、個人の恋愛観や性愛観、ひいては人生観や社会観、世界観などから、きわめて理知的に派生してくるものである――
ということです。
男の色気を論じられるときに、論者が問われるのは――
自分が固有に営む意識的で創造的な思考の全てである、といっていいかもしれません。
ちなみに――
男の色気が、しばしば女の色気と混同されている議論をよく見聞きします。
男の色気とは、女性的な魅力を兼ね備えている男性が放つ色気のことではありません。