――良質の思考は対話によってもたらされる。
といわれます。
一人で黙々と考えるよりも、誰かと会話を交わしながら考えるほうが、独創的で効率のよい思考をもたらす、ということです。
思考というのは、結局は、自分の脳の働きを活性化させることでしょうから――
脳にとっては、自分を自分で活性化させるよりは、他者の脳と協調して活性化させるほうが、より効果的であるに決まっていますね。
が――
このことは、そう簡単には納得できません。
やはり、一人で黙々と考えたほうが効果的だと思ってしまう――
誰かと会話を交わしながらだと、何となく不安なのですよね。
その懸念の理由は、対話の相手の思惑に起因するでしょう。
たしかに、対話の相手が自分の思考に親身に協力してくれるなら、対話は良質の思考をもたらしうるのですが――
そのように協力してくれないなら、対話は、むしろ思考の妨げとなりえます。
対話を良質の思考とするためには、対話に関わる者同士が協力しあわねばなりません。
多くの場合は、どちらか一方が主に考え、もう一方が従に考える、ということになるでしょう。
つまり、対等ではない――
「対等でない対話」というと、どこか不健全に感じられますが――
良質の思考をもたらす対話に限っては、それでいいのだと思っています。