マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

細川俊之さんのお芝居を

 俳優さんは、最初に拝見した役柄が、どうしても忘れられません。
 そのお芝居が個性的で印象的であったなら、なおさらです。

「最初に拝見した役柄」というのは、その俳優さんがデビューされたときの役柄とか知名度を飛躍的に向上させた当たり役ということではなく――
 僕がTVや映画などで初めて拝見した役柄ということです。

     *

 細川俊之さんのお芝居を僕が最初に拝見したのは、NHKのTVドラマ『真田太平記』の大野修理役でした。

 大野修理は、安土桃山末期から江戸初期にかけての政治家で、歴史の教科書では「大野治長」の名で登場します。
 豊臣家の重臣として、淀殿の後ろ盾のもと、大坂城政権運営を任されていた人物と考えられています。

 主君である豊臣秀頼淀殿を守れなかったことから、後世の歴史家には、いわゆる、

 ――君側の奸

 として誹られることの多い政治家です。
「君側の奸」とは、「主君の下で悪事を働いた臣下」くらいの意味ですね。
 これとは別に、豊臣秀頼は父・秀吉の子ではなく、大野治長の子ではなかったかとの通説が流布しており、これが大野治長のイメージをさらに悪くしています。

 このような人物を存在感たっぷりに演じられたのが、当時40代の細川俊之さんです。

 どれくらい存在感たっぷりだったかといいますと――
 当時10代だった僕が、
(へえ~。大野治長って、こんな顔してて、こんな話し方する人だったんだ~)
 と納得してしまうくらいです(笑

 男の色気があって、少し気取っていて――
 傲慢そうで、憎らしくて、嫌らしく――
 言葉は冷たく、鋭く、刺すようで――
 それでも、自分の職責は最期までしっかり弁えている――
 そんな人物を見事に造形されていました。

 が――
 それゆえに、以後、細川俊之さんのお芝居を拝見すると、必ず大野修理を思い出すようになりました。

 それは、細川さんご本人にとっては、心外なことだったかもしれません。

 でも、その後ずっと細川俊之さんのお芝居を気にするようになったのですから――
 どうかお赦しいただきたいと思っています。

     *

 その細川俊之さんが亡くなられたそうですね。
 自宅で転倒をされ――そのまま逝かれたとか――

 急性硬膜下血腫との診断名のみが報道されています。

 背景に何かご持病をお持ちでなかったかと拝察いたします。

 70歳というご年齢が残念です。
 お迎えは、少し早かった――